「一般に公式と呼ばれる設定」の「定義」なり「範囲」も問題だと思うんですよね。
前にサリエルさんから下記記載を教えて頂きましたが、
サ社の言葉を借りると、サ社「公式設定」とは「厳密に言えば映像化されたもの及び映像作品の中に登場するものに限って認められると考えていい」物である。更に「あと、映像化されていないからといって原作者である富野さんが書いた小説をオフィシャル扱いで無いとするのもおかしな話です。ガンダムの創造者、ある意味”神”である富野さんが作ったガンダムならばメディアを問わず、皆が正史と捉えますよね?」ともあります。
それに対して次の物はサ社「準公式設定」とされる物です。「ガンダムワールドを扱った書物やゲームなどに関してはサンライズが監修して出版許可を出していますから、そこに登場したオリジナル設定も広義的には準オフィシャルと言えるのかもしれません」
つまりガンダマーが『「考察」とか、「設定の扱い方」で議論している物』=「一般に公式と呼ばれる設定」の大半は、厳密に言えば実はサ社認識では「準公式設定」とされる物だという事を認識しておく必要があるのかなと。
そして、「一般に公式と呼ばれる設定」の「認識」も「取り扱い」も“いちご大福座談会”で
(堀口氏も含めて白、グレー、黒と)言われている様に人それぞれですからね。。。
( “いちご大福座談会”の内容については下記「kita082」さんのHP内をご参照ください。
ttp://f16.aaa.livedoor.jp/~robo/library/ichigodaifuku/ichigodaifuku-1.htm )
自分のスタンスについてですが、(長文です)
基本、相手との議論の範囲によって考察スタンスというか設定の扱いを変える様に心掛けています。
「(準)公式範囲内での議論」と「(準)公式に、非(準)公式を含む範囲での議論」位で、自分では「設定レベルシフト機構」と呼んでいますが(笑)。。。
「俺Z(小説とかイラストとか)」を製作する上で、「俺Z(若干リアル方向へシフト)の世界観」に合う設定を整備(調整)するという作業もおこなっているので、その「俺設定とか俺解釈」と「一般に公式と呼ばれる設定」とのバランスの確認も時々したくなるんですよね。特にルロイさんは俺Z小説製作構想を暖められている様ですので、「公式設定考察」と、その先にある「ルロイさんの(他の方のもですが)俺Z小説作製用設定」の一部をベンチマーク(説得力があればその部分の設定だけでも共用)にしたいとか、いうのも仄かな狙いとしてはあるのですが。。。
1の「一般に公式と呼ばれる設定の説得力が乏しい場合」ですが、
ここは大体ルロイさんと同じですね。
ただ、“いちご大福座談会”を読んでいただければ分かると思いますが、サ社は「公式」も「準公式」も厳密には管理していない状態(どれが「公式」でどれが「準公式の白か」の明示や、新作品追加により生じた矛盾解消の為の既設定の更新や、公式設定の周知活動の未実施または不完全)の様なので、
「公式」の「現実味の無さ度(=解釈での救済不可能度)」によっては現状の設定を「誤解」や「誤解に基づく誤った演出」と捉えています。(丁度、トロントさん紹介のマクロス方式(って言うんですか?)の様に)
もともと論で言うと、設定の内容によっては、サ社の(問題となる)公式設定もまた「作られた物でしかない」訳ですし、しかも1stは三十年位前の作品で、当時の(設定)製作者が、「そこまで考えていなかった」ので、あきらかに駄目な物は駄目(演出上の誤り)だが、製作された時期や『「ガンダム」である事』を考慮して、駄目(非現実)のままでも大勢に影響なし「黙認」というスタンスです。
実際の線引きは議論する各ガンダマーの考察スタンスや器量が問われるところではありますが。。。
TV版や、映画版、小説版、オリジンの本編に「描かれなかった物も(常識的にある方がより自然な場合は)有るだろう」派です。
ただ「描かれなかった理由」も確認・考察します。製作スタッフも「分かっていて」だから「ぼやかして描いていた」発言は尊重します。1stでは「描かれなかった物」でも「有る」だろうと勝手に言っていた物の内、幾つかは1stの後に作製された作品では描写された物もありますしね。(自己基準はどちらが自然で、リアルで、カッコイイ(爆)か(=リアル度)ですが)
「背景」として「各作品の作られた年代の科学技術」も考慮しますが、合わせてMSを存在させる事の出来る技術や思想からの逆算としてのUC年代の科学技術レベルも考慮します。
「(0080での)義手の技術」描写は製作者側の明らかなSF科学考証力の無さの露呈ですからね。
年代が30年も進めば科学技術も現実に自立二足歩行ロボットも歩きだす程、進歩しますしね。
「実際の物理法則」も考慮します。が、「ZのSF科学考証を捨てた」部分の扱いも解決策が用意できなければバランスで判断ですね。
自分の中ではサ社の「公式」も「準公式」も(管理されていないと思っているので)「絶対」では有りません。が、良く絶対視している様に思われます(苦笑)。それは、下記理由で「重視」はしてはいるからだと思うんですね…、
「俺Z小説作製用の準備設定」で、気を付けているのは、本家Z(旧約、新約、小説)との「距離感」と(最低限Zや前後)ガンダム作品に連なる物として他の人に認知される「バランス」ですね。その範囲内に踏みとどまる為に、“俺設定を作る必要がない部分”は「準公式」を“一字一句変えずにそのまま”取り入れているんです。
(ここで「(準)公式設定(白)と(グレー)」の「普遍度」とか「認知(普及)度」が問題となるんです)
が…、そこも一緒に(苦笑)「(準)公式」じゃないと言われて…、確認すると、「相手が知らなかっただけだったり」、「主流から外れていたり」、「設定が変えられていたり」なので、ここら辺が難しい訳ですが…。
2「複数の矛盾する設定が存在する場合」
(3)が可能なら(3)が理想ですが、A説とB説の2つの「乖離度」、「各設定の製作者」の過去作品含めたガンダム・サーガ作品(と準公式白と主流の準公式グレー設定)への「理解度」と、上記自己基準のリアル度によって(1)か(2)を選択して、それ(背骨設定の(1)か(2))に裏打ち(周りの補則)設定を付与して採る場合もありますが、これは(4)とは少し違います。必要(公式度の高さ)に応じて裏打ち設定部分を薄めれば(1)か(2)に戻る訳ですから、完全新設の(4)より準公式ネイティブに近いかと思います。
で、「裏打ち設定」は、そのまま俺Z小説用の設定にスライドする部分もある為、「リメイクというレベル」に踏み込んでしまう場合もあります。
ただ「考察」の方向性によっては「議論している設定の範疇」は区別すべきだとは思います。
が、自分のブログで記事にしている考察でも、その箇所を「(準)公式のみによる考察」、「リメイク級俺説」、「解釈級俺説」部分と区別して表記すると文章が分かり辛くなるところが頭が痛いんですよね。
かと言って「俺説」を誤って「(準)公式」と思われたくもないし…、
>自分で設定を考えるのもいいですが、「そのアイデアは前に別の人がやってたよ」って突っ込まれるのがすごく嫌なんですよ(笑)
自分の場合は、その様に突っ込まれたら、逆に無駄な考察するよりもっと前に教えてくれよと突っ込み返しますね。ソースを教えてもらって、使える同様説なら(自分で新設を用意しなくて助かるので)偉大なる前任者説を採用方針ですね。自分のと、ほぼ同じアイデアで、製作サイドの人、発の設定が準公式に採用されれば、俺説を他のガンダマーに宣伝・説明する手間も省けてこれまた大助かりだと思いますね。しかも自分の考えていた方向性の正しさの確認もできる(自己満足)のでこれまたラッキーです。
つまり、自らが製作サイドでは無く、未だに1st周辺の新作が追加されている、老朽化した公式設定の管理もされていない、現在の公式設定も永遠に公式であり続けるかは不明な、この(他人の土俵で他人のフンドシで相撲をとっている)状況下では、「(準)公式設定考察」は、「その時点でのコース・レコードの様な物」でしかなく、新しい設定が追加されたら、また塗り直す必要が生じる可能性がある物で、自分としては不毛と感じるのであまり関心が有りません。「絶対的な正解を求める物ではない」以上、「否定」も「肯定」もしない「公式や準公式の考察については、最終的にリアル度が全てで、どっちでもどれでもいい派」なんです。
ただ、「俺Z小説」を書く上ではそうも言っていられないので、「ある時点での(一人一人の内の自分の)コース・レコード」を足場にしているというだけで…。
最後に、「設定」は、面白い「作品」をつくる為の裏方の道具でしか無いと思っています。
追記:
自分の俺Zは旧約をベースに新約、小説版、後付け準公式設定と、自分含め様々な人のgoodな俺説から作った「ディテール・アップ・キット」を付けただけのポップでカッコイイSF(笑)ゼータも目指しているんですが、「ディテール・アップ・キット」を付ける為の調整を行なうとか、「曖昧な部分をはっきりさせる」と、「巧妙に成立しているバランス」が崩れ、(極力、アニメ設定には手を入れない方針ですが)いろいろ取り繕わなければ成らなくなるんですよね。
最低限、自分が納得出来る「コラージュによるZのアップデート、ディテール・アップ」が出来ればいいだけなんですが…。
あと、「タネ」の分かった「マジック」をプロで無い者がやる(興醒めな作業な)訳ですから、多少(?)の俺演出家による演出のアレンジ「趣向(笑)」も必要かなとも思ってます。
追記2:
自分では良く「設定の解釈や考察」は、車(他の物でもいいんですが)のチューンアップや、カスタマイズに似ていると思うんです。
「フィルム」=「標準仕様の市販車」、「(シリーズ)作品」=「(接続された)道路」と想定すると、元々は「同じ車」を買っても、拘る人は「チューンアップ」や、「カスタマイズ」にそれぞれの方向性と深さで、満足出来るまで拘りますよね。また、「全然拘らない、手を加えないという(一種の)拘り方」もあります。
この「チューンアップ」や、「カスタマイズ」が、「考察」や「解釈」の方向とか深さに通じる様な気がします。
そんな事しなくても当然、車は「走れます」し、作品は「視れます」。
が、拘って手を加えれば「自己満足度は増します」し、「周りの人はあきれます」 「極めれば尊敬され」 「やり過ぎれば(○チガイ?と)恐がられます」(笑)
>シリーズは繋げて考えたくなりますが。
「がんだまーめ、これが「他の作品」と「地続き」で無いと何故分からん!!」とグリプス2に侵入したクワトロ”大佐”に怒られるかも知れませんが…、「宇宙世紀」で繋がっている筈の「作品」=「舗装」で同じ筈の「道路」。「ガンダム」で、「宇宙世紀」なら、「地続き」だと考えたくなるのが人情(ガンダマーの心情)でもあります。
「考察」も「解釈」も方向性と深さに拘って、分かりやすくて、面白い文章であれば、それはもう充分立派な「2次創作」だと思います。自分はどちらかと言うと文章よりもビジュアル(絵のインパクトで勝負)の人なので、ルロイさんには全然及びませんが…。プロも含めて他の人が書(描)いてくれない物は、自分で書(描)くしかないので…下手の横好きです。。。
余談ですが、WBの中でのアムロは描き方(演出)を大胆に変えると…(WBの難民の少女・(軍事マニアの)少年視点で描くと…)銀英伝のラインハルトの様にも出来る訳です。
ググーン(カタパルト・ハッチ展開音)
「ハッ、この振動。あの方(アムロ様)が出撃なさるんだわ」(脳裏に金髪(少女の妄想による美化)で蒼氷色の瞳が印象的な卓絶した美貌の少年の姿が浮かぶ…)
「白の貴公子…」
「爪を噛む仕草が痺れるわ、キャー」とか…(笑)






Zeta-TEXT版航空巡洋型サラミスその1


